今回は“小学生のスクールバッグ比べ!日本のランドセルとイタリアの布製リュック!”と言うテーマでお話ししたいと思います。
ふとある日本の記事に目が止まり、この記事を書きたいと思いました。
それは日本の子供達の背負う荷物の重さを危惧したお母さんの想いから開発された、新たなランドセルの話でした。
なんて素晴らしい!
イタリアの子供達の荷物もそれはそれは重いです。
ただ、違いはイタリアはスクールバスでの登校手続きをしている子供達以外は、校舎内(もしくは校門)に入るまでは保護者の責任となっているので基本的には大人が送り迎えをするのですね。
即ち荷物持ちでもあり、子供達が重いスクールバッグを持つのは校舎内という最小限に抑えられる事が多いのです。
という事で、早速“小学生のスクールバッグ比べ!日本のランドセルとイタリアの布製リュック!”お付き合い下さい!
目次
日本の小学生のランドセルVSイタリアの小学生の布製リュック!

日本の小学生の背負うランドセル。
確かに6年間を耐えてもらわなければならないと思うと大きな出費も当然なのかもしれませんが、義務教育に通うのに支度金は相当要りますよね?
イタリアは一般的且つ基本的に、学校指定の〇〇が必要という事はありません。
通学用バッグも同様で、小中学生も高校生・大学生も基本は布製のリュックで通います。
こちらも日々持ち運ぶ教科書ノートは重いし基本的に学校には残せないので(すぐ紛失する)、布製とはいえかなり丈夫な作りになっています。
トロリー付きで転がせるタイプ兼用というのも多いです。
勿論消耗品なので小学校に通う5年間の間に買い換えることもありますし、逆にそのまま中学校でも引き続き使えたりもします。
日本のランドセルってそもそもいつからあるのでしょう?
日本特有のランドセルっていつからあるの?
小学校の六年間、毎日背負って通うランドセル。
私たちの頃は男女で黒か赤かの二者択一と決まっていました。
いつからか男女で色が決められるのは良くないという風潮になったと思ったら、色革命が起きてカラフルなランドセルとなりました。
素材は皮もしくは合皮。
丈夫だから六年間しっかり使い通せます!
でも、小学1年生と6年生ではそもそも身体の大きさも作りも全く違いますよね。
小学校に入学したての1年生の身体には、いくら背中に背負えるとは言え少し負担過ぎるのではないかしら。
と、当人は当然ながら親御さんは誰でも思ったことがあるはず。
それに、基本的には日本の公立小学校は徒歩での通学となっていて、私の頃も学校区の区境に住む子たちは1時間近くの距離を雨の日も風の日も歩いて通っていました。
週の初めの登校時と週の終わりの下校時にはかっぽう着や体育着やら上履きの袋も加わり、夏は熱中症対策で水筒まで加わるので、一体平均どれ程の重さの荷物を持ち歩いている事か。
重さの負担もさる事ながら、両手が荷物で塞がれば、近年多い通学時の事故などを考えると、身軽によけたり逃げたりする事すら難しいと懸念します。
でも、私たち日本人はそれが規則であり伝統であるというように教えられてきました。
そもそもランドセルというものは、いつから日本の学校教育において必須なアイテムとなったのでしょうか?
学校で使われ始める様になったのは明治時代
日本が鎖国をしていた時代に、鎖国中にもかかわらず交流があった数少ない外国の一つオランダ。
ランドセルの語源はオランダ語の背負い鞄「ランセル」なのだそうです。
ランセルは、西洋の軍隊で兵士たちが持ち物を運ぶために使用していたものでした。
江戸幕府が西洋の軍隊制度を導入した際にランセルも一緒に導入。
「ランドセル」になったのは日本語的にその方が呼びやすかったのでしょうか。
やはり軍隊起源だという事が、驚きでもあり納得できることでもあります。
みんなが同じであるべきという思想は、兎角日本人の根元に植え付けられているものですが、外国に暮らしているとそれはまるで軍隊みたいと揶揄されることが多いのです。
私自身それで初めて、あぁそれは軍隊的な考え方だったのかと気付いたことが、過去に何度かありました。
通学カバンの起源はというと学習院初等科の様です。
当初学習院の子供たちは背嚢と呼ばれるリュックサックの様なものを使用していましたが、荷物を持つのはお付きの人達のお役目だったそうです。
または馬車や人力車通学というのが習慣だった様です。
このままでは子供たちがひ弱に育つと懸念される様になり、ランドセルを導入して自分で持つ事が原則になったとか。
後の大正天皇が初等科に入学する際に、伊藤博文が今のランドセルの元になる革製の箱型ランドセルをお祝いに送られたというエピソードがあります。
それが戦後の高度経済成長以降、徐々に日本の子供達全体へと浸透して使われる様になりました。
今では日本独自の文化にまでなっている丈夫で丁寧な作りのランドセル。
日本の小学生の象徴となっています。
イタリアの子供たちは?

『当時ひ弱な子供が育つと懸念された学習院初等科の子ども達の習慣』というところで正に『現代のイタリアの子供達同様!』と思わず反応してしまった私です。
イタリアの小学校は5年制です。
我が家の二人の息子は3歳違い。
通った小学校は自宅から4kmほど離れており、私は7年間小学校への車での送り迎えをした事になります。
イタリアの子供達の通学カバンは基本的に布製のリュックサックです。
デザインは色々で、ピッカピカの一年生は好きなキャラクターのリュックを選ぶ子が多く見受けられます。
いくら丈夫にできているとはいえ、布製だし最初から5年間使い通そうという考えもないのだと思います。
こちらの子供達の持ち物にはかっぽう着も上履きもありませんが、それでも教科書やらオヤツ(イタリアの学校はおやつ持参!)などを詰め込んだらやはりかなりの重さになります。
成長期の子供の発育を考えて、リュックの重量は各子供の体重の10〜15%を超えてはいけないとイタリア保健省が定めているのですが、そうは言っても時間割によっては毎時間教科が変わると5教科6教科の準備をそれぞれしなければならないわけで、持っていかないわけには行かないし、と言って学校に置いてくるわけにもいかない。
となると、やはり大人ですら持つには辛い重量となる事はしばしばでした。
それを見込んでトロリー付きリュックというのも多くあります。
小学校は保護者が子供達が校門に入るまではきちんと送り届けて、下校時には校門で子供を引き渡されないといけない事になっているので、校門に入る直前までは荷物持ちでした。
下校時には校門を出たところで「はい!」とリュックを当然の如く渡される日々。
お友達の子供も一緒に迎えに行く時などは、校門から車の駐車してあるところまで、私が3つも4つも重たい荷物を持って歩く状態でした。
その都度日本の小学生は偉いよなぁ、この国のひ弱な甘えた子供達に爪の垢を煎じて飲ませたいものだわ!などと思ったものです(笑)。
私自身が「こうあるべき」「こうでなければならない」という日本人的考え方を自然に身につけていましたからね。
でも、重たい荷物を持って遠い通学路を通う事が忍耐強い立派な精神であり、しかしながら発育に悪影響があるのだとしたら本末転倒です。
何が立派かそうでないかとか、良いか悪いかという事でなく、もっと柔軟に物事の本質から考えたり受け入れたりする事も大事なのではないかと思うようになっていたところ、この様な記事を目にしたわけです。
母の愛から誕生した新しいランドセル!

今回は東北宮城のニュース記事をきっかけに私自身は知ったのですが、実はもう何十年も前にランドセルにかわるランリック(ランリュック)というものが開発されていたのですね。
皮製若しくは合皮製の伝統のランドセルでなければならないと言うのは、古き良きものを崇めがちの古いメンタリティだったのかもしれません。
勿論、文化や伝統には良いからこそ受け継がれて来たものである事は疑いの余地はありません。
ですが、6年間使い続けるという事の大切さの反面、価格面から子供が複数いる家庭への負担だとか、どう考えても発育途上の6年間を同じ鞄で通い通すことの身体的負担もしっかり見つめる必要があるのだと実感します。
そしてもう一つ!
ひ弱な子供甘えた子供が育つという懸念ですが、誰もが成長していきますよね?
いずれはその子供達も自分の子供達の重たい荷物をまとめて持たされる立場になったりするものです(笑)。
全て循環していき、その段階段階で学ぶことがあるのではないかと思うのです。
鍛える場所は他にもあると、今この年齢になると思えたりします。
皆さんはどう思われるでしょうか?
ランリュック利用者(保護者)の声から(一部抜粋)
他にも、色が豊富で好きな色を選べるとか、教科書の他にもお道具箱や体操着、上履きまで詰め込めるとか、満足のレビューが寄せられています!
小学生のスクールバッグ比べ!日本のランドセルとイタリアの布製リュック!まとめ

今回は、小学生のスクールバッグ比べ!日本のランドセルとイタリアの布製リュック!というテーマでお届けしました。
日本のランドセル問題からイタリアの子供達の現状との比較や私自身の思った事を、目にしたランドセル問題をきっかけに書き留めてみた感じです。
素敵なランリック(ランリュック)がどんどん主流になっていけば良いですね。
勿論、従来のランドセルを作り続けて下さっている職人さん業者さんにも敬意を表し、ランドセルを使いたいと願う子供達が規則とか義務ではなく希望して選ぶ事が出来るのなら素敵な事ではないかと思います。
色の選べるランドセル、デザインを選べるランリック(ランリュック)というのは、世界から見た日本人の弱みである「個性をアピール」「個性を延ばす!」という面ではこれからどんどん必要になっていくのではないでしょうか。
と、外国生活が長くなった一人の日本人として思う次第です!