既に2024年が始まってはおりますが、今回は昨年2023年で700年を迎えたプレゼーぺ・ヴィヴェンテの話を書き留めておきたいと思います。
プレゼーぺ・ヴィヴェンテと言うのは、直訳すると生きたキリスト誕生シーンと言う意味で、すなわち人々によって再現されるものです。
アッシジの聖フランチェスコがキリスト誕生に想いを馳せる事、人々にキリストの生涯や教えを伝え広めることを目的に初めて行ったのが1223年の事だと言われています。
昨年2023年のクリスマスで700周年!
私の暮らすアッシジ市郊外の一地区でも、コロナ禍に注視されたままになっていたのですが、プレゼーぺ700年祭と言う節目に再開され催行最終日に観にいく事が出来ました。
一瞬タイムスリップしたかの様なひと時。
炎による灯りの元で手元のスマホでの撮影では(と言うより私自身の腕の問題なのですが)ぶれてしまった写真も多位のですが、少しでもその雰囲気を多くの方にシェアしたいと言う思いでお届けします。
最後までぜひお付き合いください!
目次
2023年で700周年プレゼーぺ・ヴィヴェンテとは?
キリスト誕生シーンは一般的にプレゼピオと呼ばれますが、ラテン語のPRAESAEPEから来ていて、その言い回しからプレゼーぺとも言われます。
今日では模型や人形など、あらゆる表現でのキリスト誕生シーンをプレゼピオとしますが、元々の意味はまぐさ桶や馬屋で、特にキリストが誕生した際の馬槽を指します。
プレゼピオに関しては過去のこちらの記事で既に紹介しておりますので、よろしかったらそちらも参考になさってください!
生活の場がそのまま開催会場に!
プレゼーぺ・ヴィヴェンテと言うのは、生きたキリスト誕生シーンの事。
イタリアは地区ごとに、大概歴史的なチェントロ(中心地)が古い街並みのなまま残っています。
その様な地区を利用して、キリストが誕生した約2050年ほど前のパレスチナを再現するのですが、市場であったり職人の工房だったり、そのシーンに相応しい小屋や建物を1ヶ月くらい前から組み立て設置し始めます。
その地区には通常暮らしている人たちもいるわけで、住人の協力もあって実現している事なのです。
伝統行事だし開催日は数日のみなので、暗黙の了解なのだろうとも思えますが、日本だったら必ず誰かしらが反対しそうだといつも思ってしまいます。
こう言うところ、イタリア人は許容範囲なのでしょうね。
アッシジの聖フランチェスコとは
イタリア語ではサン・フランチェスコですが、日本ではフランシスコと言う英語読みの方が知られていると思います。
1181年もしくは1182に中部イタリアのアッシジ市に生まれました。
当時のイタリアは今のようにイタリア国ではなく、それぞれキリスト教カトリックのローマ法王(教皇)庁下に置かれる都市と神聖ローマ帝国皇帝下に置かれる都市国家に別れていました。
現教皇はフランチェスコ(フランシスコ一世)です。
アルゼンチン出身のこの教皇自身が、自然を大切にし生きとし生けるもの全てを慈しんだこの聖人の名前を教皇名を希望されました。
とは言っても、聖フランチェスコ、実は本名はジョヴァンニです。
織物商人の父ピエトロ・ベルナルドーネと母ピカの間に生まれたジョヴァンニは、フランスに商用に出かける父から小さなフランス人という相性フランチェスコと呼ばれる様になっと言われています。
フランチェスコは裕福な家庭で何の不自由もなく、当時の若者たち同様にいずれ戦で手柄を立て名声を得る事を夢見ながら青春を謳歌していました。
隣町ペルージャとの戦いに敗れて1年間捕虜収容所に入れられていた事もあります。
父親の保釈金により釈放された後も、南イタリアでの戦に参戦すべく向かったフランチェスコでしたが、途中高熱を出し一人で残され療養している時にこの世の一瞬の名声の為に争いに向かう事の虚しさに改心し、そこからアッシジに引き返したそうです。
故郷アッシジに戻り教会で祈っていると、目の前の磔刑図から『フランチェスコよ行け、そして私の崩れかけた家を建てなおすのだ!』と言う声を聞きました。
それからのフランチェスコはそれまでの裕福な生活から一変し、人々に物乞いをし祈りと清貧の生活を始めます。
それに激怒した父親に対しフランチェスコは、人々の見守る中衣類を全て脱ぎ父親に差し出す事で、父親から勘当されました。
そして天を仰ぎ、『たった今私はこの世の父から勘当されたので、これからは何も迷う事なくあなたを私の父と呼ぶことが出来ます』と言ったと言うのは有名なエピソードの一つです。
全ての財産を投げ捨て貧しい生活に徹しながら、ハンセン病患者の救済に励み見捨てられていた状態の境界を立て直していきます。
あらゆる圧迫にも挫けず人々に改心を勧め『平和と愛』をとくフランチェスコの姿に人々は胸を打たれ、共鳴するものも出てきました。
現在の『フランシスコ修道会』の元にあたる『小さき兄弟会』創立を当時の教皇イノセント3世から受けた時の仲間の数がキリストの使徒と同じ12人だったと言いますが、清貧・純潔・従順を掲げています。
布教活動はイタリア内に留まらず、トルコなど諸外国にも及び、聖フランチェスコが没する1226年10月3日には全ヨーロッパに1100の修道院と2万〜3万人の修道士を擁する程に大きくなっていました。
目に見えるもの、手に触れる尾の全てが神のみ業であり、人間にとっては兄弟・姉妹であるという心の高みにまで達し、死さえもしまいなる死として喜んで迎えたとのことです。
その『被創造物讃歌』により、詩人としても名を残しています。
プレゼーぺ・ヴィヴェンテ
クリスマス前後には至る所でプレゼピオの飾りを目にします。
前述したように、ヴィヴェンテは生きているという意味。
各地区の教会教区で、あらかじめ役割や場面の打ち合わせを行います。
私の住む地区では何場面かセリフ付きで劇の様な場面もあるのですが、皆さん迫真の演技で素晴らしいのです。
ふと、宗教や目的は違いますが地域の人たちで活性化を図るのところは、日本の神社でのお祭りの様だと思いました。
地元のプレゼーぺ・ヴィヴェンテ。最終日のパレードも含めて画像で紹介!
私の暮らす地区では、12月25日クリスマスの日から年明けて1月6日のキリスト公現祭までの間、祝日12月25日・26日・1月1日・1月6日、その期間内の日曜日の日没以降が開演時間です
雨天の場合中止になってしまうので、
狭い路地を歩くので人数制限をしています。
チケットはコロナ前に€4だったのが、復活して初の開催となったこの年末年始は€5と上がっていました。
最終日には、日没前に地区の中心地を全出演者がパレードをして盛り上げます。
パレードの様子から写真をシェアしますね。
最終日パレードの様子
プレゼーぺ・ヴィヴェンテ
ちなみに聖母子役は、6ヶ月以内に出産した母子が実際担当します。
生まれてまもない赤ちゃんを夜風に当てるって日本では考えられない様な気がしますが、きっと名誉なことなのかも知れませんね。
2023年で700周年プレゼーぺ・ヴィヴェンテとは?最終日パレードも含めて紹介!まとめ
タイムスリップした雰囲気が少しは伝わりましたか?
聖フランチェスコはこのプレゼピオを始めた地、グレッチョという街をパレスチナの様に美しい場所と讃え、好んで訪れていたのだそうです。
今尚争いの地となっており、耐え難い映像を目にしてはただただ祈るしかできません。
世界中が平和と愛に満たされる日はいつになったら訪れるのでしょう。
2023年で700周年プレゼーぺ・ヴィヴェンテとは?最終日パレードも含めて紹介!
最後までお付き合いいただきありがとうございました!