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ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!

ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!
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今回は、ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!と言うテーマでお話しします。

『一月は往ぬる、二月は逃げる、三月は去る』という諺がありますが、2023年もあっという間に四分の一が過ぎてしまいました。

イタリアは3月が学年末では無いので、当然4月が新年度の始まりというわけでもありません。

復活祭がその年によっていつに当たるか変わりますが、大概3月末から4月にかけては復活祭前の四旬節にあたる事が多いです。

でもそんな四旬節にあたったとしても、4月1日にちょっとした悪戯をして楽しむ習慣はイタリアにもあるんですよ。

という事で、今回はこのエイプリルフールを取り上げてみたいと思います。

ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!

最後までお付き合いください!

 

ペシェダプリーレは4月のさかな?

ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!

ペシェダプリーレはPESCE D’APRILEと書きます。

直訳すると“4月のさかな”です。

日本語では“4月ばか”ですが、イタリアで魚が“ばか”を表しているという訳ではありません。

 

そもそもエイプリルフールの起源はいつ、どこから?

どうも諸説がある様ですが、最も多く言われていて説得力があるのは次の様な話です。

起源は中世フランスです。

1563年のトレント公会議にて、暦をそれまでのユリウス暦からグレゴリオ暦にする事が要請されました。

実際に切り替えが行われたのは1582年だった様ですが、グレゴリオ暦採用により元旦がそれまでは3月25日から4月1日だったのが1月1日になりました。

それまでの習慣がいきなり変わっても人々はなかなかすぐには対応できません。

そこで、しばらくの間はかつての元旦をお祝いし続ける人々がいた様です。

その様子を見て、すぐに切り替えができた人たちがからかったり嘲笑ったりして、更には悪戯を仕掛けられるターゲットとなった様です。

 

イタリアへの到来

フランスで生まれたこの様な悪戯の習慣は、イタリア統一後の1860年代ぐらいからイタリアにも入ってきました。

フランスとの国境を接するリグリア州のジェノヴァがイタリアでは最初にその習慣を取り入れた様です。

ただ、最初は上流階級の間のみでの遊びで、その後一般の人々の間でも根付いていきました。

 

何故“さかな”?

魚は目の前の餌に釣られやすい!

恐らくそこから来ているのでは無いかと言われています。

悪戯のターゲットにされやすい、騙されやすい、という事の様です。

『4月のさかな』ってなんか可愛らしい表現ですよね。

 

イタリアのエイプリルフール、イタリア人の悪戯の話!

では、どんな悪戯をするのかと言うと、一番伝統的(?)と言えるのは紙で作った魚や魚の絵をターゲットとなる人の背中にそっと貼り付けて、いつその人が気付くかと言うのを周りの仲間で楽しむものです。

この時とばかり嘘をついてみたり、ありえない話を作ってみたり、そう言ったところは日本とも変わりません。

元々楽しい事が好きなイタリア人なので、悪戯というと目を輝かせる人も沢山います。

この動画では、オレオのクッキーのクリームを歯磨き粉に変えたり、ピクルスをチョコレートコーティングしたり、結構凝っていてしかもよく出来ていて感心してしまう感じです。

何にしても、相手が不快な思いにならない程度で笑いで済むなら良いですよね。

ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!まとめ

ペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!

今回はペシェダプリーレは4月のさかな?イタリアのエイプリルフールの話!をお届けしました。

我が家には友人から重さが5kgもある巨大カリフラワーが届き、思わずペシェダプリーレの冗談かと思いましたが、正真正銘友人の畑で収穫された本物のカリフラワーでした(笑)。

最後までお付き合いありがとうございました!

ブオン・ペシェダプリーレ!良いエイプリルフールを!